『芋たこなんきん』再放送感想まとめ ハッピーエンドの先にも生活は続く
なんという大人なドラマ…… #芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年4月6日
ついに『芋たこなんきん』が再放送の最終回を迎えました。せっかくなので、自分のツイートから感想をまとめておこうかな、と思いました。このドラマは、家族、仕事、恋愛、老いなど、多岐にわたるテーマを網羅していますが、今回はドラマ全体のテーマになるところを抜き出してみます。
昔の大人は大人だな…… #芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年4月6日
始まった頃から、『芋たこなんきん』の大人さに呆然としている私。
生きているとどうしてもいいことばかり起きてほしくはなるし、昨今「いいこと」を正解と捉えて、「悪いこと」を忌避しすぎる風潮があるように思うのですが、このドラマは「悪いこと」も引き受けていくのが人生であると謳っている。ユーモアがあればペーソスもある、それが人生。 #芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年5月17日
私個人として、このドラマに身が入っていった週は第7週だったかもしれません。第6週が家政婦のヌイさんがやってきて去って行く週。そして第7週は昭一さんと純子さんがフィーチャーされはじめる週ですね。「いいこと」も「悪いこと」も引き受けていく、という姿勢を明確に打ち出していて、引き受けて乗り越えていく姿が大人でかっこいい。
「変わることも変わらないことも恐れない。家族に必要なのはそういう強さ」最後に入ったナレーションの力強さよ……。すごい回だった。 #芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年5月18日
今日の回すごくて、人生のままならなさ、人に関わることで起こる良い変化と悪い変化、悲しい出来事が起こったからといって、人と関わったことすべてを「悪いこと」とジャッジすることもないし、新しい縁で変化することを恐れることもない、という結論に15分で持っていった……#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年5月18日
これは清志の逆上がりの回ですね。昭一さんが去って行って、純子さんが秘書として残ると決意してくれるところ。羅列するとそれだけだっけ?ってなっちゃうんですけれど。誰かと関わることって面倒と喜びと両方ある。面倒な中から嬉しい変化が起こることもある。新しい出会いがあったからと言ってすべてを変化させることもない。そうした問題に安易な答えがあるわけではない、というような話。ここで「変わることも変わらないことも恐れない」とナレーションが入る。シンプルながらも力強い言葉。この凄み。
人にどう思われるかを必要以上に慮って、空気を読むことが美徳の世界を生きていると、素直な気持ちを表明するのはいけないのか?なんて思ってしまうのですが、このドラマの人たちは言いたいことを言うし、それを周囲がきちんと受け止めるので心地よい。
— Sekihara (@Sekihara) 2022年7月19日
#芋たこなんきん
今の世の中、空気を読んで「世間にとっての正解」な振る舞いをすることを自己と他者に要求するようなところがあるように思うのですが(評価軸が他者に置かれすぎている)、この『芋たこなんきん』の世界は、自分の気持ちや意見をきちんと表明し、周囲の気持ちや意見を受け止めることが成立している(評価軸が自己にある)。こういう関係性って、出来そうで出来ない。自立した大人の世界のドラマ。
登場人物のそれぞれが悩みや気掛かりを持って、でもそれはそれとして家庭や職場が運営されていく当たり前をなぜここまでドラマで自然に再現できるのか……#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年7月31日
原作の田辺先生の「幸せ」に対する解析度の高さが朝ドラにきちんと落とし込まれている。婚姻、家族、職業などの型は型でしかないし、その器を満たす幸福も不幸も、決まった型があるわけではない。幸福も不幸も、型からはみ出て、零れ落ちて、生活を満たしていく。#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年7月31日
原作って言い方ちょっとおかしいですけれど。これはドラマのモデルになった田辺聖子先生の思想なんだと思いますね。世間から見た幸福の形は世間からみた幸福でしかなくて、自分の幸せは自分で決めるしかない。選んだ人生が正解になっていく、という考え方。
映画館の奥さんの佐和子さん、女優になった時は「夢を叶えた」と思っただろうし、旦那さんに出会った時は「この人と生きることが私の夢なのだ」と思って駆け落ちしたんだと思う。その瞬間はそれがハッピーエンドだったのは本当なんだけれど、ハッピーエンドの先にも生活は続いていく。#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月1日
このドラマは優しいから佐和子さんの人生は今が正解だと指し示してくれるんだな。女優を続けていてもどうなったかはわからないし。#芋たこなんきん https://t.co/TIpZJ7mlq3
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月3日
由利子や晴子や佐和子さんに感じる、少し悲壮感すら漂う生真面目さについて、また年上の女性たちの強さについて、田辺聖子先生のこの言葉を思い出す。最近流行りの「自分の機嫌を自分で取る」みたいなことを、田辺先生はずっと前に小説やエッセイに書いて来ているんですよね。。#芋たこなんきん https://t.co/wbwKTPigiR
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月3日
あったかもしれない人生(佐和子さんにとっては女優)に思い悩むよりも、今の人生(俊平さんとの生活)を大切にしていくことが大事、というか、今を一生懸命生きれば選んだ人生が正解になっていくという話ではないかな。 #芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月3日
町子と信夫が母の幸せを思って同居の覚悟を「勝手に」決める中、母は「勝手に」一人で住む場所を決める。老いた母を一人住まわすのは不幸と「勝手に」決めつけていた子供たちと、自分の幸せは自分で知っているという自立した母。母本人が決めた幸せを生きてもらうのがいいよね。#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月12日
世間に賞賛される答え(親との同居)に沿えば、世間的に正解した気にはなれるけれど、それが母にとっての正解とは限らない。世間の要求する正解を安易に受け入れずに個人個人が幸福を探す勇気が必要で、それはいつでも困難だけれど、真の意味での自由ってそういうことだと描いてくれる。#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月12日
そして、もう一点度々リフレインされるテーマに、「特別な才能を持つ人だけが特別なことを成し遂げるわけではない」という考え方がある。
前にも同様の構造があって、今回も由利子による才能の問いや佐和子さんの夢の断念の描写があったけれど、「特別な職業の人」だけが他者に影響を与えるわけじゃない(=翻って全員の人生が特別なのだ)という度々の示唆は、このドラマが静かに強く訴える大きなテーマなのだと思う。#芋たこなんきん https://t.co/EUygXsicZm
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月5日
作家の言葉だから、技巧があるから心が通じる、というわけではない。それはタエさんと佐和子さんによるエディへの手紙の時も同様だった。#芋たこなんきん https://t.co/X9v8gcatLx
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月21日
散りばめられたシーンの一つ一つが、「すべての人生が特別な人生なのだ」と示唆していて、つまり『芋たこなんきん』は人生讃歌なわけですね。もちろん、ドラマの中で「誰の人生も特別なのよ~!」みたいなことを主人公が叫んで誰かを抱き締めるような野暮はしない。戦争前の人々の和やかな暮らし、戦時中の困難、離別が丁寧に描かれたことで、戦後の日常を生きる人々が、たくましく「特別な一生」を生きていると理解させるし、ひるがって、視聴者一人一人の人生が特別であることを優しく示してくれる。
うまくいったから綺麗に語れるという側面はあるけれど、一生懸命取り組んだことが仮にうまくいかなかったとしても、その選択と努力を、他者が無責任に「でも失敗じゃん」と言っていいわけじゃないと思うんですよね。チャレンジする尊さを他者が笑う必要ある?っていう。#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月26日
当たり前の話だけれど、これやっておけば解決、幸せになれる、みたいなものはなくて、町子と健次郎が毎日模索して、幸せを見つけていく物語だった。「大家族の後妻」が大変なんじゃなくて模索の連続(人生)はいつでも困難だし、 困難をクリアすることに楽しみを見出せる二人だった。#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年9月16日
かように力強く生きる姿を見せてくれた主人公・町子。これ、普通に演じていると町子が「出来過ぎた」女性になってしまったと思うんですよね。売れっ子の小説家、大家族の後妻、ご近所の人にも秘書にも正しい距離感で接することが出来る思慮深い女性である町子。しかし、これが稀代の名女優・藤山直美がコミカルに演じることで、花岡町子が失敗もあり、怒りで我を忘れもする普通の人間であると成立させていたのではないでしょうか。そして、もう一点、
誰にでもちゃんと一定の距離を保って接する町子なのに、実母には当たりがキツくなる感じ、リアルなんだよなぁ。逆にお母さんには甘えが出るってことで。 #芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月10日
実母には雑な応対をしてしまう町子、という描写が度々出てくることで、主人公の人間味を感じましたね。また、いつでも強く困難に立ち向かう町子の最大の危機であった健次郎の入院時、この母が、町子が弱音を吐ける居場所として存在するために同居を続ける決意をする、という展開に愛を感じました。物語の冒頭、町子が結婚の話をした時も「歯が痛い」とか言っていたお母さん。当初は同居を断ってきたお母さん。
年を取っても明日への期待、未来がある!年取った親が子供と住まねばならぬという考えは野暮!すごい!かっこいい!#芋たこなんきん
— Sekihara (@Sekihara) 2022年8月12日
この母があっての花岡町子だった。この物語をあえて「家族の物語」として回収するならば、いつでも自立した生き方を肯定してくれたこの母と娘の物語であったかな、と思います。
『芋たこなんきん』で主人公が母親に「あんた今日、口紅濃いな!」と言われていて、母親ってそういうこと言うよな〜!ってなった。
— Sekihara (@Sekihara) 2022年3月28日