緊急事態宣言発令まで日記

 

■2019年12月

 同僚が高熱と激しい咳を伴う風邪を引く。1週間以上休んでいたと思う。医者に行くと、「原因不明のウィルス」と診断されたらしい。他にも咳を伴う風邪で休むメンバーがいた。

 咳をしている人が多かったこともあって、11月あたりから毎日マスクをつけて仕事をしていた。そして、花粉症に備えて、ドラッグストアで箱入りマスクをまとめ買いしておいた。(そのため、マスクが切れることは今のところない。)

 

■2020年1月25日

 日本で最初の新型肺炎の感染者が武漢から京都に来た観光客の方から出る。(27日に、京都の宿が安くなっている、というツイートを見る。職場でもこのタイミングで京都旅行に出かけた人がいた。)

 

■2020年1月27日

 鍋を作ったのにへんな味に仕上がり、水炊き失敗することってあるか?と思った。この頃体調不良で何を食べてもあまり美味しくなかった。今思えば……とは思うがただの風邪だった可能性もある。もうそれを調べる術はない。

 

 ■2020年2月1日

 この後、近所の内科にかかり、熱もないし、風邪というほどでもないけれど、胃腸が少し弱っていますね、と言われて、胃腸薬をもらう。仕事がずっと忙しかった。

 

■2020年2月9日

 すでに、人混みを避けよう、という意識があったらしい。

 

■2020年2月11日

 WHOが新型コロナウイルスの感染による疾患を「COVID-19」と命名、ICTVがこのウイルスを「SARS-CoV-2」と分類、命名した。湖北省が、肺炎を引き起こす新型コロナウイルスによる死者が103人、感染者が2097人増えたと発表。同日時点で中国本土の死者は計1011人となり、感染者は4万2千人を超えた。

ja.wikipedia.org

 

■2020年2月12日

 百貨店のバレンタインデーの催事に何度か寄っていた。いつ行っても大変な混雑だった。この人混み(感染症対策は)大丈夫なのか?という疑問が頭をよぎった覚えがある。翌13日、新型肺炎による日本で初の死亡者が確認された。

 

■2020年2月15日

 例年の季節の変わり目のことではあるが相変わらずなんとなく体調が優れなかった。

 

■2020年2月17日

 オリンピック進行のためのお盆進行の心配をしていた。

 

■2020年2月19日

 ダイヤモンドプリンセス号のニュースが大きく連日報道されていた頃。海外旅行好きの両親がどこかに行っているタイミングでなかったことに安堵していた。

 

 ■2020年2月20日

 中国での遠い出来事から、当事者の出来事に変化しはじめている。

 

■2020年2月21日

 日本での感染者が100人を超えた日。飲食店が空きはじめる。人混みを避けるように、というムードになりはじめた。バレンタインデーの催事終了から10日後くらい。

 

■2020年2月23日

 親から「たまには帰ってこれば?」と連絡が入るが、なんとなく体調が悪く「自分も保菌している可能性があるからしばらく帰らない」と返事をする。この頃は、胃腸から悪くなる、という噂が一瞬あった。

 

■2020年2月24日

 親の呼びかけには応えなかったのに、横浜に遊びに行く。ちなみに2月3日にやってきていたダイヤモンドプリンセス号はまだ停泊していたらしい。飲食店は空き気味。横浜自体はまずまずにぎわっていた。出かけた理由はトークイベントで、会場には年配の男性(おじいちゃん)が多数いた。ここに感染者がいたら、大変なことになるのでは、とひやっとする。サインや握手、プレゼントは禁止。この週がイベント自粛の波が来る直前、最後の週末だったのかもしれない。(すでに自粛しているイベントも増えてきていた)

 

 ■2020年2月25日

 会社より時間差通勤の許可が出る。

 

■2020年2月26日

 スポーツ・文化イベント自粛の要請が出る。新型肺炎による、日本で2人目の死亡者。韓国での感染者が1000人を超えた。

 

 ■2020年2月27日

 会社から、飲み会禁止、打ち合わせも最低限に、という通告が出る。夕方、政府が全国の小中学校、高校、特別支援学校に臨時休校を要請。アマビエのツイート初出がこの日。

 

 ■2020年2月28日

 トイレットペーパーの品切れがはじまる。以前から決まっていた仕事の飲み会に行く。これが取引先の人との最後の食事になった。

 

 ■2020年3月1日

 自粛ムードになってきていたが、まだ気分的には他人事感が抜け切れていなかった。友人と自由が丘でインテリアショップめぐり。自由が丘、それなりに混雑していた。駅前の満員のエクセルシオールに少しドキッとしたものの、まぁ、いいかと着席するくらいの危機感。夕食を食べた店は、普段は人気店らしいが空いていて、しばらくは客は我々のみ。これが友人との最後の外食となった。

 

 ■2020年3月2日

 小中学校、高校、特別支援学校で臨時休校が開始。学校給食の中止で牛乳が余る、という話題が出はじめる。(蘇を作るブームがこのあたりから2週間くらい?あった。) ここから深刻度が増したように感じる。しかしまだ、外食してお店を助けたい、というムードだった。

 

■2020年3月4日

 

 ■2020年3月5日

 

■2020年3月8日

 

 ■2020年3月9日

 この打ち合わせの時に、「東京が封鎖されたら、パニックホラーの漫画みたいですね」というような話をした。冗談半分、本気半分になってきていた。このあたりで対面での打ち合わせがほとんど延期か中止になる。

 

 ■2020年3月10日

 百貨店やファッションビルの時短営業がはじまっている。海外からの観光客はだいぶ減っていた。

 

■2020年3月11日 

 センバツ中止発表。

 

■2020年3月13日  

 朝、全身の倦怠感に襲われ、微熱が出る。おののいて会社を休んだ。結局微熱が出ただけで終わったものの、正直少し覚悟をした。結果的には季節の変わり目の不調の延長だったのかもしれないが、これもまたよくわからない。イタリアがかなり深刻、というニュースがどんどん届いていた頃。

 

■2020年3月15日 

 金曜日から日曜日ほとんど寝て過ごし、だるさが抜ける。日曜日の夕方、気分転換に新宿に買い物に出る。これまた混雑していた。春物のワイドパンツを購入。2時間くらい見て帰る。今思うと、じっとしておいたほうがよかったのではないか、という反省がある。しかし、毎日満員電車に乗って出勤している身だったため、そのあたりの判断がまだつかなかった。

 

■2020年3月16日 

 

 ■2020年3月17日 

 オリンピックを完全な形でやる、というような宣言があった。

 

■2020年3月18日 

 

■2020年3月19日 

 大阪府知事が緊急会見 連休3日間大阪と兵庫の往来自粛要請。ロックダウンについて、真面目に考えはじめる。

 

■2020年3月20日 

 ワニ騒動。最終回前、金曜日に書籍化の発表があったことから炎上。

 

■2020年3月21日 

 もう危険と理解しながらも、東京から出られなくなる気配を感じたので、親に顔を見せに隣県の実家に半日帰る。全員マスクでお彼岸の墓参り。母は泊まっていってほしいということだったが、なるべく接触を避けたかったため、さっと帰ってきた。混雑する町田に寄って、化粧品とハーブティーを買う。スーパー・薬局で買えないものを少しずつ買いそろえはじめようとしていた。

 

■2020年3月22日  

 他社との打ち合わせはWeb会議のみに。

 

■2020年3月24日  

 オリンピック延期の発表。オリンピックは完全な形でやる、という発表から一週間後だった。この発表を機に物事のスピード感が変わる。オリンピックが滞らせていた部分はあったと思う。

 

■2020年3月26日  

 阪神の選手に感染者が出る。ここで、味覚嗅覚異常が症状の特徴として周知されることになる。会社から在宅勤務を言い渡されたわけではなかったが、もう実施があるつもりで生活をしていた。日持ちのするものから少しずつ、ストックを買い足していく。夕方、都知事の記者会見があり、東京のムードが一気に深刻化。

 昼食を食べる行きつけの店に別れの挨拶をはじめる。

 

■2020年3月27日  

 電車がだんだん空きはじめる。まだ感染者が出ていない地域が地元だという人とWeb会議をしたら、「地元に疎開しちゃおうかなぁ」と言うので、後ろ指さされるんじゃないですかねぇ、と返事をした。都知事の記者会見の後、取引先各社の在宅勤務対応が加速。スーパーは生鮮食品やカップラーメンなどが品切れ。コミケ開催中止の発表。

 

 ■2020年3月28日  

 スーパーに行くと売り場に「一部商品が現在品切れておりますが、流通は安定していますので、買い溜めはご遠慮ください」という張り紙があり、レジを通り抜けると「安定した供給が出来なくなる可能性がございますので、家族一週間分の非常食をストックしてください」というビラが置いてあった。矛盾。これは、封鎖、直近であるな!いや、あると思ってはいたけれど本当に近いうちにあるな!と確信した。(結局封鎖ではなかったけれど) この日が気分的には一番焦っていたように思う。買える時に少しずつ買い貯めておく、という買い物の仕方になっていたが、何をどのくらいストックしていいのかわからない。
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 ■2020年3月29日  

 この日、東京は積もるような雪が降った。

 

 ■2020年3月30日 

 出勤するのがしんどくなってきていた。朝の電車、もともと賑やかではないが、あまりに静か。咳一つ聴こえない。楽観や希望がそぎ落とされた空気。カフェもすでに休業を前提で話をしていた。志村けん死去。有名人ではじめての訃報。

 

 ■2020年3月31日 

 もうこれは書店は閉まる、と思って、新宿の大きな書店に寄って帰る。一度閉まったら、きっとまったく同じには戻らない。東京の大きい店舗が閉まるなら、配本も、発売日も何もかも変わるだろう。持ちこたえられない店も出版社も出てくるだろう。最後に見ておかないと、と思っていた。

 

 ■2020年4月1日 

 電車に乗っていて、あまりに静かで、「辛い」と誰かがつぶやいた声が聞こえた。

  マスク2枚が配られることになり、Twitterは阿鼻叫喚。

 

 ■2020年4月2日 

 

 ■2020年4月3日

 非常事態宣言がそろそろ…という気配は充満しているものの、どのような指示があるのかレベル感がよくわからなかった。会社を出る時、次にいつ会えるかわからないけれど元気でいてね、というような挨拶をした。学生の頃の終業式みたいな、でももう少しシリアスな別れの挨拶。大人なのでしんみりしたものは出過ぎないけれど。

 

  ■2020年4月4日

 迷った末、歯医者に歯科検診に行き、美容室に行って髪を切る。両方とも接触が多い場所だが、しばらく行くことはできないだろうと思ったし、もう少し深刻度が増してから行くには距離感が辛い場所だ。こういう選択ばかり増えていく。美容師は、店を閉めるなら閉めるでいい、補償を決めて欲しい、と言っていた。午後、在宅勤務用の簡易テーブルを購入。

 

■2020年4月6日

 多くの飲食店がテイクアウトをはじめた。夕方緊急事態宣言の予告がある。

 

■2020年4月7日

 緊急事態宣言発令。いつ出るのか待っていたようなところがあったので、少し安心すらしてしまった。

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